エーテル世界へ

ジオデシック・ドーム組み立てワークショップ

2014年8月4日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
毎朝、山道を散歩するようになって八か月。一日五キロ、一月で150キロ。 八か月で12000キロメートル歩いたことになります。おそらく四国一周1200キロが 歩き遍路の平均的な距離です。 千里の道も一歩から・・・かな。
今日は、金剛杖、白装束と輪袈裟を買いにゆきます。菅笠は車なので不要。 少しずつ準備をしているのは、暮らしもお遍路の一部かなと思うからです。 ガイドマップを買ったり、宿をとったり、車を整備したりも旅の準備の楽しみですよね。
良きシニア・ライフ、エーテル世界へのたびになればいいなあ、と思っています。
仏教では、お遍路のような「道をもとめる機会」を「有暇を得る」といいます。 暇を得て遊ぶ・・・というよりも人生の光陰の中で仏道に目覚める良きご縁と時間・機会に 恵まれたととらえるのです。
生活に追われ、勤めに追われ、為すべきことを済ませてなお、道を求めるとすれはそれは 「精神的な道」ということになるのでしょう。 東洋ではそれを花と呼んだり、侘び寂びと呼んだりします。 花のある道、侘び寂びのある道がエーテル世界ということかもしれません。
先ごろ、松山を訪れた松岡正剛さんは日本的な美の方法について語りました。
「日本的な美は「型」を大切にする。「型」を基本に「姿」が現われる。 意匠とは美の編集とデザインである。意匠のあり方を「態」という。 そして「態」は「体」であり、「体」を用いる「用」がある。
土から「器」を作ることが陶芸の原点。そして「器量」「器用」と「器」を活かす方法としての「日本の美」。
世阿弥は最小限まで切り捨てていった最後に残るものを「型」と言った。
茶道や武道の「守る・破る・離れる」ものとは「型」である。
「日本的方法」とは「型の奥にある面影を求めることである」 編集的なデザインとは面影のアート。三つの「型」がある。
それは元型(アーキタイプ)と原型(プロトタイプ)と典型(ステレオ・タイプ)である。
わたしたちは、日本的方法を通して面影の美学をパッセージとすることができます。」
最小限まですべてを切り捨てて行って最後に残るものを『型』という。 型にはまるのではなく、型を学び、型を破り、型を離れるための美の方法。
そこにこそ、面影の美学と陰翳礼讃と気配感覚に優れた日本的なエーテル世界がある のかもしれません。

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