創造的に生きる

2014年7月25日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ堂本舗でございます。
暑中見舞い申し上げます。 ほんとうに暑い日でしたね。
エコロジストのぽらんさんとマックカフェで珈琲を飲んでいました。
ぽらんさんは先週末やっと息子さんのユースケ君の結婚式が無事、終わり、 ほっと一息ついている様子。
シニア・ライフについて、そしていつものように大脳の脳内報酬系トレーニングの議論。
ぽらんさんは、シニアになった時『知的報酬系残高があるかどうか?』という面白い話をして くれました。
つまり、「人生を旅として、ことがらとして生きたかどうか?」あるいは 「労働と消費と義務のための時間だったか?」 もし、後者だとしたら、それはラットレースのようなものだというのです。
アルコール中毒は治療する病院はあってもワークホリックは治療するところはない。 定年後、鬱病になってはじめてことの深刻さを知る。
「時間を生きる人と事柄を生きる人の違いは、知的報酬系残高でわかる。」
これは、わかりやすく言うと定年期になった時に何もすることがなく、会社を離れた途端に 鬱になり、ワーカホリックであったことが判明するというものです。
過酷なビジネス環境を生きてきた人に限って、とても多いとぽらんさんは言っていました。
人生がジェットコースター、ウォータースライダーみたいなわたしやぽらんさんとは異なる 「ビジネス・マンの正統派人生」の結果が「知的報酬系残高があまりない」というのは、 きわめて残念ではあります。
仕事以外のクリエイティブなテーマを求めなかった、という問題点があるにしても人生には 仕事以外のテーマは無限にあることも確かです。
正規雇用がどんどん減り、早期退職が増加の一途をたどる現状の中で「時間だけを生きる」のは 過酷かもしれません。
ふと、一昨日のミハエル・デーブスさんの日本人の課題について思い出し、じっくり考えていました。
「日常の小さな不安を克服する力を養うこと」は、人生に知的残高を作る創造性を養うということ かなと思いました。

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