梅雨時の小心庵

2012年6月20日

はい、どっと・いぶにんぐ(=^o^=)やまねこでございます。時には丁寧にごあいさつできます。
暑い夏の到来を予感しながら、梅雨空を見上げています。
寄る年波のせいか、やまねこは昔のことを思い出します。
福岡正信さんを福岡農園に足しげく訪ねたことをふと思い出します。
当時、福岡さんはいつも農園内の「小心庵」という庵室にいました。 訪ねると竹の枯れ木を囲炉裏に燃やしながらゆるゆると語り始めます。
すべては無に帰ること、自然こそが神であること、無こそ万物を生み出す始原であることから はじまり、農園での出来事や時事問題について詳細に批判して見せます。 梅雨時は、福岡さんにとってはまたとない思索の季節です。水田の田植えをしない自然農法に おいては閑な季節なのです。
『やまねこ君、僕はね、何もしないことが最も多くを生み出すことを知らない現代人は 何かすれば成果がある思っとる。大きな勘違いだよ。何もしないことこそがすべてを なすことなんだ。』
淡々と福岡さん独特のDo Nothingの哲学に耳を傾けていました。
あれから二十年。 やまねこもまたこの年になり、何もしないことこそすべてを生むことを痛感しています。 無為にいきることを戒める勤勉も度をすぎれば害になります。
自然は何を作為することもなく成長繁茂してゆきます。 もしそうであるならば、人間もまた自然から多くの産出を得ているわけですから、自然と 共に歩むのがいいかもしれません。 人間のさかしらの知識が生み出した原子力がすべての自然を破壊しようとしている今だから こそ、この「Do Nothingの哲学」はずしりと重い響きを帯びてくるのです。
梅雨の雨音を聞きながら、福岡さんと語らった日々を懐かしく思います。

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“梅雨時の小心庵” への2件の返信

  1. いいですね。懐かしく小心庵を思い出した。福岡さん、山猫さん、綺麗な山猫さんの奥さんの笑顔を❤

  2. 今思えば、福岡農園は楽園でしたね。
    私も福岡正信氏の亡くなる2年前、お花見でヤマネコと一緒に福岡農園を訪ねました。初めて農園を案内してもらいました。素晴らしかった。小心庵は、朽ちてしまっており、賑わっていた頃の農園が、偲ばれました。良き時代でしたね。

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