2010年2月5日
はい、どっとこ・もーにんぐ(=^o^=)やまねこでおますどす。
先日ぽらんさんと話していて「生活の標準化が私たちを追い詰めた」というテーマについて 考えていました。
日本人の平均的、アベレージな暮らし方は一般には『豊かさの指標』とも見られてきたというのが 実態なのですが、そもそも「豊かさ」とは何を意味しているのでしょうか。 多くの人が信じているように年収が多ければ、多いほど豊かであるというのは正しいのかな。
やまねこは、最近「時間の豊かさ」をよく考えます。ぽらんさんのタイ人のレポートにも 時間に豊かな暮らし方を感じます。必要最低限を満たしながら、豊かな時間を満喫する・・・ これをミニマム・ライフと言いますが、そんな志向の若者が増えているらしい。 彼らはあくせくと働き収入を増やすことよりも、時間的なゆとりや生活充実感の方を優先する傾向 があるというのです。
アメリカ文学草創期のヘンリー・D・ソローの『森の生活』にミニマム・ライフの良きヒントがある かもしれません。 『ミニマムライフ、と思ったときに、やっぱり手放して一番効果的なのはあらゆる種類の常識です。 非常識に生きなければならない、というのではないのですけども、今まで無条件で必要と思ってきた ものを、「それは本当に必要なのか」という観点でとらえ直してみる。それが最大のメリットなの ではないかなあ、と。 「ミニマムライフ」と言って新しい常識を作りだしたのでは本質的な暮らし方はあまり変わらずに、 せいぜい暮らしの模様替えになってしまいます。ソローはミニマムに暮らす方法としてまず 「本当に必要な物は何かを自分で知ること」と「本当に必要な物を自分で手にいれる方法を取得 すること」を上げています。(第一章「経済」)
自信がなくなればなくなるほど、目標がぶれればぶれるほど 心にも、それから心の延長たる家の中にも、煩わしいものが増えていきます。 自分が本当に満足できるように暮らせば、生活は小さくなる筈だ、とソローは考えました。 すっきりしていて、とてもわかりやすいとおもいませんか。
『ソローの森の生活に学ぶ』 切磋琢磨しつつ競争社会に生きることも決して、間違ったことではないと思いますが、 わたしたちは一度「それは本当に必要なことなのか?」と自らに問いかける心のゆとりも持ちたい ものです。そして、複雑化した暮らし方をもう一度ダウン・サイジングして、身軽でシンプルな 気分で暮らしを見つめなおしたほうが、楽しく過ごせるかもしれないのです。