2009年8月14日
愛媛県松山市 道後温泉には、『玉の石』と言われるものが、あります。
道後温泉本館の脇にひっそりと祀られている祠に鎮座する大きな丸い石です。 神話によれば、道後温泉は国土の修理固成のために大国主命と少彦名の命が力を合わせて 四国を旅したという故事の中で、少彦名の命が病に倒れた時、大国主命とともに湯浴みした場所が 道後温泉であり、温浴で元気を回復した少彦名の命が立ち上がり昇った岩が、この「玉の石」であ るとか。
道後温泉を初めとして、愛媛には、出雲神話にまつわる伝承がいくつか、残されています。
大洲市肘川沿いには、初春十日恵比寿で、有名な大洲神社(大洲市内)の摂社の少彦名神社が鬱蒼と した森の中に鎮座しています。
わたしが毎年初詣にゆく所ですが、ここは大国主命とともに訪れた少彦名の命が、肱川を渡ろう として溺れて鎮まった場所と言われています。
古事記では、少彦名の命は常世の国に帰ったということになっていますが、四国で少彦名の命は鎮ま ったと神社縁起にあります。
伝承なので、ことの成り立ちは不明ですが、水郷地帯である大洲市は、風景がなんとなく出雲に似て います。 出雲の斐伊川の上流に鳥髪というところがありますが、この肘川の上流には、鳥首というところがあ ります。 満々と水を湛えて流れる肱川は確かに、出雲の斐伊川を思い出させるものがあります。ひょっとした ら、古代の出雲の民が、四国に移住して大洲市あたりに落ち着いたのかもしれませんね。
信州の諏訪大社を訪れたときも似たようなことを、感じました。 諏訪湖畔の風景は、出雲の宍道湖の風景にとてもよく似ているのです。 オオクニヌシの子であるタケミナカタを祀った諏訪大社は、御柱祭りとおみ渡りで有名です。 出雲と愛媛をつなぐ神話の謎を、道後温泉本館の脇のひっそりとした祠が語りかけてくれます。
『やまねこ的神話考』
神話的な思考について考えています。合理主義を当然なものとして受け入れ、文明の発展を信じ テクノロジーに囲まれ、自然環境の危機が言われているだけに『神話的なものへの郷愁』を感じる のはわたしたちの悲しき風習なのかもしれません。
『神話的思考はいわゆる未開人に特有のものではなく、科学技術の発展した現代の都市社会でもはた らいている。ただし、未開の神話的思考が、自然からの文化の発生という点に力点を置いているのに 対し、文明の神話的思考は、むしろ失われた自然への郷愁に力点が置かれる。神話の思考は、この二 つの間を揺れ動いている。ある時代には、人は文化住宅に住んで文化鍋を使う生活に憧れ、ある時代 には、人は自然食品を食べて自然分娩をする生活に郷愁をおぼえる。 現代の神話的思考は、科学の思考と共通する、あるいは類似するタームを使うので、科学の思考と見 分けるのが難しい。しかしそれを科学の思考と混同するのも誤りだし「疑似科学」というレッテルを 貼って排斥するのも誤りである。(それなのに「神話」という言葉は、誤っているのに根拠もなく信 じられているものを指し示す言葉として使われつづけている。)』 (「四畳半神話体系」森見登美彦)
確かにわたしたちは、誤っているのに根拠なく信じられているものに神話と言う言葉を使う一方で 自然界と共存する先住民の文化や神話に憧れる。
車を利用し、電車を利用しつつ山林を散歩して自然 に親しむ。
先住民にとっての神話とわたしたちの神話は、どこかで前提するものが異なっていて科学 的なものと非科学的にものの間を揺れ動いているように思われます。
特に日本人は「そんなの迷信だよ」と言う一方で下駄の鼻緒が切れたら心配したり、茶柱が立ったら 喜ぶものです。「根拠なく信じられているものの神話」の例でしょう。
科学的な思考に慣れた現代人は、合理性によってそぎ落とされた「神話的思考」を日常の枠組みの中 に入れることもできず、かといって先住民のように「生き方・世界観」として持つこともできず、失 われたものへの郷愁ととらえるのでしょう。
科学的世界観への盲目的な信仰・・・というものがもしあるとしたら、「そんなの迷信だよ」と鼻で 笑うべき相手が鏡に映った私たち自身ではないということは、言い切れません。
アボリジンのドリーム・タイムのような世界観を非科学的と見るか、郷愁と見るかは人によって異な るのでしょうが、もういちどわたしたちは当然と看做している現実をとらえなおしてみる必要がある と思っています。
やまねこ(=^o^=)でした。