初夏の瞑想

2011年5月8日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこですよ~。
GWも今日で終わり。ゆるゆると 過ごしていました。
初夏の趣で、松山市内は暑かったですね。夢の里には一日さわやかな風が吹いていました。 ツツジの鮮やかな色彩が目にしみる夢の里で、初夏の瞑想をしていました。 メディテーションは、わたしたちの心身をフレッシュ・アップしてくれます。
『メディテーションへのいざない』
瞑想とは、普通精神統一と言う風に理解されていますが、わたしはその基本として『ゆったりと自分を見つめること』と理解しています。 例えば、人は勉強や作業をするときには集中したり、緊張したりしますがそれはある意味でいたし方の無いことです。
瞑想は、日々の緊張や集中作業の合間にふっと訪れるゆったりとした『間』のようなものだと思うのです。ですから、一日中瞑想をしているわけにはいきません。日々の努めや雑務をこなすことがまず第一で、それこそが瞑想に至る良き基盤なのだと思います。 しかし、緊張・集中のみの連続では人の心は、疲れやがて病んでゆくか、閉じてゆきます。ストレス過剰の現代の生活の中で、瞑想は心の窓を開け放してゆったりと自分を見つめること。そして日々を振り返り、自然や宇宙から爽やかな風を通してみる試みなのかもしれませんね。
そして、そんな瞑想タイムは新たな活力や発見をもたらしてくれることもあります。 毎日、淡々とほんの少しの時間でも瞑想タイムを持つことは、わたしたちに心のオアシスとなり得る美しい習慣です。そして、焦りや緊張にとらわれた時、不安や失望にとらわれた時にこそ瞑想タイムで蓄えた豊かなエネルギーかわたしたちに気力と勇気をもたらしてくれるのです。
ゆったりと自分を見つめて、湧き出る元気の素・・メディテーション。あなたも、メディテーションしてみませんか?
みどりなす大地の休息と心の窓を開け放す習慣は、誰にとっても大切なものです。 常に「何かのための時間」をあわただしく過ごしている日常は、有益ではありますが 時としてわたしたちを疲弊させます。 瞑想とは、「何のためでもない時間」を持つことではないでしょうか。 ふと訪れる日常の空白時間としての「瞑想タイム」は、わたしたちをチューニングしてくれる 美しい習慣になりうるのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ


にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*

CAPTCHA