2011年4月22日
はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。 春の日だまりが心地よいシーズンです。花鳥風月の夢の里は、春雨の一日でした。
先日植えたトウモロコシや茄子や豆類、ジャガイモを植えた畑で種がすくすくと 育っていることでしょう。
さてさて、やまねこは「夢の里の霊的問題」についてこのところ考えています。 世に言うところの「桃源郷」や「神隠しの里」とも言える夢の里では、不思議な現象 が頻発しています。そもそもここでは、お金が無力です。木の葉っぱと紙幣が容易に 入れ替わります。
そして、人間の営為や努力がかならずしも評価されません。 利害打算、ご都合主義がまるで役に立たないのです。
にもかかわらず、自然の恵みは限りなく豊穣です。 植物の成長がことのほか早いのです。まるまると太る野菜、奥池の湿地のアヤメや金魚藻 夢の里のドルメンなど何の変哲もない自然が生き生きと輝いて見えることがあります。 Y社長の口癖によるとここに来ると「お金のことを忘れて、無性に木を植えたくなる」 とのこと。すでに数千本の木の苗を植えました。 たぶん、「千と千尋の神隠し」でも扱われたテーマなのですが、ここでは人間世界の ならわしが時として無力なのです。
わたしはこれを「なることがなる、ならぬことはならぬ法則」と呼んでいます。 どれほど、人間のさかしらの知識やお金や権力を集めても「ならぬことはならぬ」ので あるし、どんなに取るに足らない些細なことでも「なることはなる」のです。
おそらくは「希望の種を植える」という行為は「なる」のでしょう。
水いたりて苣となる 奥池の泉の不思議を誰も知ることはないのでしょうが、大渇水を迎えてはじめて 満々とたたえる泉の不思議を知るのかもしれません。