2008年4月4日
大天使ミカエルの季節についてシュタイナーは、「それを人間は、自由への衝動、未来への衝動として自覚するのです。」と語ります。
シュタイナーの翻訳者 西川隆範さん(密教僧侶)は、適切にも次のように敷衍しています。
『どんなに美しく、価値あるものも新しいものを用意するために
死んで行くというのが、ミカエルの季節の気分なのである。
そのようにして空きができた空間に未来的なものが入ってくることが
できる。
逆に過去の栄光、美しい伝統を頑なに守ろうとする態度の中に人を惑わ
せる龍が忍び込む。
過去の財宝を捨てることができない者は、ミカエル的な道を行くことは
出来ないというのである。』
(『いま、シュタイナーの民族論をどう読むか?』より)
霊的な問題については、ここ数年来スピリチュアル・ブームですから、多くの人たちが関心を持ったり、関わったりする時代に入っています。これは、人間が「自由への衝動」に目覚め始めたせいかもしれません。
未来への衝動と自由への衝動が、わたしたちの時代の流れなのでしょう。しかし、それを阻害する力もわたしたちは、持ち合わせています。未来を拒絶して、過去に留まろうする力です。
わたしも、中年となりましたのでそういう力が自分の中にも働いているのを感じます。
何故、人間は現実に対して心閉ざしたり、硬直化した思いになるかと言えば、それは過去からの力を未来に向けて、手放せないからだと思うのです。
つまり、手ぶらの自然体から外れてしまうということ。
スピリチュアル・ブームには、様々な側面がありました。自由や柔軟性、未来を受け取るオープンな心をもたらしてくれた一方で、過去からの様々な力をも受けたことも事実なのでしょう。
より良き「サイキック・ディフェンス」は、こうした過去志向や権力志向、権威への屈服、センセーション、知的財宝を求める魂の活動の中に潜む「過去へのとらわれ」を捨てて、ゆったりとそして淡々と「今を生きる」ということなのではないかと思っています。
権威や名誉などなどは、所詮過去に属するものであって、自由への道から人間を引き離すものに過ぎないという当たり前の見方なのでしょうが、最近、このことをとても意識しています。