2010年10月3日
はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。
長かった家族の入院生活を終えて、退院日でした。家族をドーム・ハウスに迎えて 退院祝いの日曜日でした。快気祝い・・・と言われたりもしますが、現代では医療と生活は切り離せないものになっています。日だまりの中で畑を耕したり、入院生活の 思い出などを語らい、最近回復ぎみの家族の健康を祈りました。それほどに高齢化社会は 隅々まで浸透していて、デイ・ケアやデイ・サービスは第二の生活環境となっていますね。
やまねこは、高齢の家族を迎えながらふと「人生の光陰は矢のごとし」という言葉を想いま した。わたしたちは、いつも「自分はいつまでも若い」と信じて疑わないのです。 「いつまでも若い」という言葉は老人特有の言葉です。 決して若くない年齢になってもいつまでも若い・・・もしこれが本当ならすべての人は 死ぬということはありえない話です。にもかかわらず、わたしたちがいつまでも若いと 信じていたいのは、「他人はともあれ、自分が死ぬことはあり得ない」とどこかで信じて いるからなのでしょう。 にもかかわらず、その願いが満たされた人は人類史上、ただの一人もいないのは周知の事実です。
死を受け入れる・・・これは、決して死ぬことはないという自分の内なる願いに対する敗北で ありながらも、なにかしら慰めを感じさせてくれます。
それは、人生と言う道場を卒業して、あらたなステージへと歩みを進めるからかもしれません。
やまねこもまた、新たなステージをめざして、ふたたびジオデシック構造体から再スタートを 切りたいと深く願う一日でした。