今からおよそ、27年前の頃のことです。当時学生だった私は、今でいうスピリチュアル=精神世界や哲学などにのめり込んでいた時期がありました。日本で初期に広まった精神世界は今のお手軽スピリチュアルとは違って、かなり緻密な思想性があります。アメリカのカウンター・カルチャーや哲学、科学思想、東洋思想、心理学や民族文化などを背景にオルターナティブなパラダイムシフトを志向するものでした。

私が大学に入学した1980年は松岡正剛さんや横尾忠則さんがメディアに登場し、それまでの全共闘世代とは一線を画す、個人主義、ポストモダンアートや精神的なカルチャーの草創期でした。予備校時代に仏教やシュタイナー、グルジェフなど西洋オカルティズムと東洋思想に傾倒していた私は、松岡正剛さんの出身校である早稲田大学哲学科を目指し入学しました。オタク青年で内向的な私は大学生活にも適応できず、ノイローゼに悩みつつも鬱々と神秘学の密やかな世界に浸っていたのです。

さて、そんな折に松岡正剛さんとならんで今も深く尊敬するおおえまさのりさんに出会いました。おおえまさのりさんは、70年代にニューヨークで映画作家として活動し、帰国後『チベットの死者の書』を翻訳し、当時「いちえんそう」というワークショップを手掛けるエコロジストアーティストとして活躍されていました。おおえまさのりさんは、バックミンスター・フラー博士とその思想に深く共感していました。ある時、フラー博士が来日するということで講演会にご一緒させていただきました。フラー博士は、高齢で1983年の来日の翌年に亡くなられましたが、来日時も精力的にご自身の思想をとつとつと語りかけていたような記憶が残っています。

フラー・ドームとの出会いは、その頃のことで、おおえさんの紹介でフラー研究家の芹沢高志さんからフラーの思想の魅力を伝えられ、初めてシナジェティックスを体現する数学モデルのジオデシック構造体とフラー・ドームに触れました。当時、別荘用の輸入住宅として日本で初めて導入した会社は、E社でした。輸入総合商社E社は、フラー博士を招へいしたスポンサーでもありました。

そんな縁もあって、私は新宿のE社に日参して周囲の仲間たちにフラー・ドームの魅力を伝えていました。ある時、E社さんに案内されて訪れた富士山麓のモデルハウスは直径18メートルもあるものでした。アメリカン仕様なのですべてが大きめの開放的な空間を体験できます。オプションはバブル前夜時代を反映する高級キッチンやジャグジーなどが設置されており、当時、晴海見本市の出品価格は3000万円近くだったのを覚えています。

それからこうしてフラー・ドーム・ハウスを皆様にご提供できる仕事に従事させて頂けるようになりましたが、わたしのファナティックとも言えるフラー・ドーム・ハウスへの思い入れはそんな青春時代の出来事に端を発しています。


ドーム・ハウス愛媛 所長 加藤 英雄