書評 『医学は霊学から何を得ることができるか?』 ルドルフ・シュタイナー著

『医学は霊学から何を得ることができるか』  ルドルフ・シュタイナー著
                              中村政明訳 (水声社)

2009年1月14日

わたしたちの身体は、神殿であり、「神々の叡智の結集」であるとよく言われます。
漠然と『人体は宇宙だ。』などとイメージしているのですが、外科的な解剖学や西洋医学に親しんでいるわたしたちは、その「宇宙の鏡としての人体の不思議」をつぶさに理解できているわけではありません。
本書は、近年注目されつつある『アントロポゾフィー医学』の基本をシュタイナー自身が医療従事者に語った基本講義の訳出です。
わたしたちの外科医学的な理解・・・神経系・循環器系・消化器系・代謝系などの区分理解と異なる霊的人間観に基づく「内なる人間の医学」が語られています。
シュタイナーによればわたしたち人間は、人体を基盤として神経系・リズム系・代謝四肢系の三つに分かれ神経系は自我と思考に対応し、リズム系はアストラル体と感情に、代謝四肢系はエーテル体と意志に対応しているのだそうです。
そして、それぞれの器官は相互に浸透しあいながら、構築プロセスと崩壊プロセスを繰り返しながら、健康を維持しているということらしい。興味深いのは、それぞれの系が、補完的な役割を果たしていて、人間が魂的・霊的な部分を持てるのは、人体が崩壊プロセス(死への方向性)を持っているからこそ、魂的・霊的部分が成長する余地を得ているのだというところです。
また、病気は、その構築プロセスと破壊プロセスの均衡が崩れたときに起きるメタモルフォーゼなのだ、とアントロポゾフィー医学では捉えているようです。
注目すべき病理理解の例がいくつか出てきます。
腎臓の疾患は、人体内の「感覚器官」としての腎臓の働きが弱まった例であり、崩壊プロセスとしての排泄・循環作用に偏ったことによるというのです。
腎臓病は構築力の弱体化に起因しているので、それを補うためにはスギナのよる治療が必要とのこと。
漢方医学でもよく用いられる薬湯です。また、逆の傾向・・・構築力が過度な時はシダが用いられるそうです。
消化不良の病気の場合は、自我の働きが充分に機能していないことが要因だそうです。自我の働きを助けるためには胆嚢の炭素作用に働きかけるのが好ましく、この場合はチッコリーが用いられるとのこと。
このあたりは、ホメオパシーに詳しい人には興味深い指摘です。
また、シュタイナーはアントロポゾフィー医学は一般の医学を否定するものではなく、より広い立場から補完し発展させるものであることを繰り返し述べていますから、「あれかこれか」と迷うのは杞憂かもしれません。
わたしたちは誰しも、可能であれば出来る限り健康でありたいと願います。
しかし、アントロポゾフィーでは病気もまた人間にとって必要な認識のプロセスなのだと考えているようです。『病気になったり、身体が衰弱することは思考する存在になるためにはどうしても必要なことなのです。
病気とは霊的発達の影の側面であり、影を正しく理解するためには光にも眼を向けなければなりません。
すなわち、霊的プロセスの本質に眼をむけなければならないのです。』とシュタイナーは語ります。

日本ではシュタイナーの人智学と言えば、『シュタイナー教育』や『霊的世界観』に眼を向けてしまいがちですが、アントロポゾフィーの実践的部分は、医学と言う極めて現実的・実際的な現場でも広く根付き息づいている「実践知」なのでしょう。本書をきっかけとして日々の身体生活をあらためて見つめなおしてみるのもいいかもしれません。
宇宙の鏡としての人体は、わたしたちの生活を根底で支えてくれる神殿なのでしょうから・・・。

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“書評 『医学は霊学から何を得ることができるか?』 ルドルフ・シュタイナー著” への2件の返信

  1. ホメオパシーは半信半疑なのですが、シュタイナー医学は漢方医学やアーユルヴェーダと考え方が似ていて統合できると信じています。

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